気づいたらあと10日ないではないか!
もうかれこれ5度目の引っ越しになるけど、大阪→東京はこれまでで一番の長距離。
当然お金もかかったけれど、うちは荷物の量が半端ないのでそっちのほうでも途方にくれる。
こっちがリビング。
前の日記でも書いたけれど、とにかくCD、レコード。そして大量の本。
ほかにギターもあるしアンプもあるし…。
そしてこっちの部屋にも壁一面本棚。床は抜けないのだろうか?
さらにこれに洋服だの食器だの合わせると、当然とんでもない量になることは目に見えている。
引っ越し業者もこの荷物の多さには閉口してたぐらい。
この荷物を詰めたり仕分けしたりする工程を考えるといつも軽く滅入ってしまうので、こんなのを読んで息抜きしている。
Farewell,My Lovely(さよなら、愛しい人)/レイモンド・チャンドラー
村上春樹 訳
村上春樹は初期3部作がベストと信じて疑わないぼくにとって、最近の作品は読みはするものの、どれもがっかりさせられることが多い。
でも彼が翻訳し紹介してくれるアメリカ文学にはひとつも外れがないのも、また事実だ。
レイモンド・カーヴァー、スコット・フィッツジェラルド、ジョン・アーヴィング。
現代にはないセンスを感じる文章と、ひねりの利いたストーリーと、愛情を捧げずにはいられない愛おしい人物描写と。
彼らしい独特の文体で訳されたこれらの本を読んでいると、まるで村上春樹の新作を読んでいるかのような気分を味わうことができる。
疑似体験にすぎないとわかっていても。
もう一度ぼくをうならせてくれるような、春樹自身の新作が読みたいものだ。
閑話休題。
大学でアメリカ文学を専攻していた頃から、自ずとチャンドラーの名前は耳にしていた。
でも大人ぶっていたぼくは、チャンドラーの作品に対する「ハード・ボイルド」「ミステリー」という、ある種「俗っぽい」キーワードから読むのを避け、小難しい作家の本ばかり読んでいた。
今思うとなんて愚かだったんだろうと思う。
昨年「ロング・グッドバイ」を村上春樹訳で読んで、まさに目から鱗が落ちる。
謎解きをする、という意味でのミステリーとしての完成度(あるいはミステリーとは認識していない人も多いのではないか)は置いておいて、主人公はもちろん、登場人物たちの生き方、そしてとことん洒脱な語り口に一読して惹かれた。
もちろん訳者としての村上春樹に対する評価はまた別の問題だけれど、古典とも呼ばれる物語たちを現代によみがえらせる、という意味での紹介者としては、春樹は一流だ。
少なくともぼくにとっては。
夢中になって読み終えたあとは当然、ほかの作品も読みたくなる。
しかし春樹が訳したチャンドラーの本はこの「ロング・グッドバイ」が最初の一冊だったので、ほかにはない。
ぼくはそんなことさえも知らなかったのだ。
そして書店に行く度に外国小説の棚を気にする日々が1年ほど続いたある日、ひょっこり平積みされていたこの「Farewell,My Lovely」。
まだ30ページほど読んだだけだが、あまりに面白くて途中で止まっている。
良い本ほど先を読むのがもったいなくてこうする癖がある。
もうこの段階で、帯の文のとおり「チャンドラーの小説のある人生を選んで良かった」と思わせる名作であることは、間違いないのだが。
ちょっと気取ってるけど話は最高におもしろいよー。
返信削除読んでみて。
1st?のシンプルなやつがいいねーロンセクスミス。
全然本読まんけど、なんだか読んでみたい気になるな。ロン・セクスミスやばいよ。「The idiot boy」て曲いいよ。
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