2012-02-18

これは恋ではない

小西康陽という人の作る音楽、ではなく文章について。

彼の音楽にはほとんど興味を持ったことがない。
もちろん「東京は夜の七時」ぐらいは知っているし、
一応ピチカート・ファイヴのベスト盤なんかも持っている。
でも全然好きじゃない。
だいたい「ロックが嫌い」と声高に言っているような人の
作る音楽が好きになれるとは思えない。

それでは僕がなぜこの人の本をこんなに持っているか。
それは大学生の僕が書店の隅に置かれていた
一冊目のコラム本「これは恋ではない」のタイトルに
ひっかかったということ、これに尽きる。
こんな素敵なタイトルの本を他に知らない。

この本を買った時には、僕はまだ植草甚一という人のことは知らなかったので
文体やコラムの構成に至るまであまりにダイレクトな影響を
受けていることを知らなかった、というのもあるのだけれど
それにしても衝撃的だった。
文章も装丁も、ひと言で言ってセンスが良すぎると思った。
物書きをめざしたこともあったりした僕が、どんなに打ちのめされたことか。

中身は小西が好きな服、レコード、本、映画の話がほとんどで、
エッセイを小説化したような不思議な物語がいくつか。
その物語に僕は本当に心を打たれて、その頃どっぷり好きだった
村上春樹の世界から、ようやく抜け出せると思ったものだ。

この本はもう絶版になってしまっているようだけど、
これが文句なしに一番面白い。


二冊目の「ぼくは散歩と雑学が好きだった」はもちろん発刊日に、
それもわざわざ京都の大好きな恵文社までわざわざ行って購入した。
そのときサイン会の券をもらった気がするのだけど、
すぐにどこかにやってしまった。
別に行かなくて良かった、とは思うのだけど。

一冊目にはもちろん劣るけど、これも良いコラム集。
最後の方にまとめてある日記での体を病んでいく箇所は
息をのんで読んだことを覚えている。


他にディスクガイドという名目で好きなアルバムをひたすら
挙げているものもあるし、レコードジャケットばかり集めた
偏執的な写真集も作っているけど、そうした本はもう当たり前に
素晴らしいので割愛。


そしてこの間新しくコラボレーション本という名目で出た
「僕らのヒットパレード」を読み終えたので、この文章を書いている。

片岡義男という人は名前は良く聞くがほとんど知らなかった。
でもこの本を読みながら偶然かけていた久保田麻琴&夕焼け楽団のレコード
「ハワイ・チャンプルー」のライナーにその名前があって驚いた。
それで家にある他のレコードや本をバラバラ見てみると
片岡義男の名前はそこかしこで見られる。不勉強でした。

ただし、それと文章への評価は一致しない。
彼と小西が代わる代わる筆をとることによって、
ますます小西の文章の素晴らしさが浮き出ている。


聴いたことのないレコードや観たことのない映画のことを書くとき
どうしたら他人に興味を持ってもらえるか。
そのことを、小西は最初から全く考えていないように思える。
本当に、ただ自分勝手にエピソードや思い入れを書いているだけ。
でもなぜか、読んでいると聴きたくなるし観たくなるから本当に不思議。

そんな風にしてぼくが小西から“紹介されて”出会った作品や作家は数知れない。
レス・バクスター、ジェイムス・テイラーのファースト、PICO、
コリン・ブランストーン・・・ジョージ・フェイムなんかもそうかな。
恥ずかしながらステンカラーのコートやクラークスのデザートブーツも買ったし
正直よくわからない映画もたくさん観た。
読んだ人の生活に、文章だけでこれだけ入り込んでくる人って
あんまりいなかったから、やっぱりすごかったんだなと思う。
でもやっぱり、彼の音楽は好きじゃないけど。


それにしても音楽家の書く文章がこれだけ上手だと
嫉妬した作家もいっぱいいただろうな。
「きみになりたい」と思われているのは小西かもしれないね。

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